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《有吉有文堂 店主 有吉民雄さん》

周南市新町、交差点の傍。町屋を想わせる風情のある一角に、格子に並び大きな硝子窓。木枠の窓越しに1人作業をする職人の姿。まちの風景の一部になっているこの光景。ここでは、今では珍しい手彫りの印判を彫っている。

創業は明治。既に113年が経つ。引き戸を入り職人さんの手元を覗くと、ずらり、印刀と呼ばれる彫刻刀が100本ほどある。中には350年ものもあるそうだ。「お客様が来ると、まず『私でいいですか』と訊ねます」一生ものの印だけに、その責任がこの言葉に籠る。「〇の中にどう入れるか、□の中にどう入れるか。1本の完成まで、2カ月。他のことをしながら目を変え、改めて向き合うことを重ねてふた月。そうすることで、より良い印ができる」覚悟を持って彫っておられるのだ。

先代のお父様の腕は江戸時代の職人譲り。そんなお父様から引き継いだ有吉さん。実は、終戦の年1945年9歳の頃から彫り始め77年にもなる。当時、学校から帰るなり彫っていたんだとか。それからでないと遊びには行けなかった。お父様からの言葉はなく、ただ「人を見て彫れとだけ。とはいえ、父親しか彫る人はいない訳で…見様見真似だった。いつの日にか手の平に汗をかくこともなくなった」修行の現れでは?と訊ねると「修行ではなく、精神的なものかも。できるようになるのが人間なのかも」と。全身が印判の為に再生されている。

「親父からは、他のもので身に付いたものが自然に表れるとも言われた」

本を読むことに始まり、芸術、美術の鑑賞、美しい物を見る、古い書籍を読むなどは日常。茶の湯は19歳で始め、表千家周南清和会名誉会長として。漢詩は30代から。50を過ぎてからゴルフも始めたという。仕事の為かと思いきや「仕事すら楽しんでするもの。若いころは数をこなすのが仕事と思っていたが、今となっては仕事すら遊び」とさらり。

「こんな言葉が出るようになったのは5年前のガンを経験してから。退院後、なかなか店を開けられず混とんと過ごしていると、注文が入った。『奉仕を思ってやれ、リハビリと思ってやれ』という注文に応えるうち、1本が半年かかって仕上がった。子供の頃からやっていたから仕事で健康になったのではないかと思う」仕事が心の支え、生き甲斐ということに気付く。

「楽しんで楽しんで生きて行こう、遊びをせんとや生まれけむ、これが私の信条です」

遊びと学びの姿勢を忘れない有吉さんの姿と屈託のない笑顔は、いつまでもこの街並みに溶け込む。

(文:恵雅子 写真:林義明)